2013年9月15日日曜日

第9回 北海道立総合研究機構理事長 丹保憲仁さん(前編)

対談日:2013年6月28日  於:土木学会会議室


丹保憲仁さんプロフィール
1933年北海道生まれ。工学博士。1957年北海道大学大学院工学研究科土木工学修士課程修了。北海道立総合研究機構理事長。第89代土木学会会長。北海道大学総長、放送大学長などの要職を歴任。
専門は環境工学、著書に『人口減少下の社会資本整備-拡大から縮小への処方箋』(2002年、土木学会など。)









■2100年、世界人口が100億人を突破したら「近代」が終焉

山岡 水の循環、環境システム分野のオーソリティである丹保憲仁さんは、文明史的観点から地球の近未来に警鐘を鳴らし、近代の終焉、文明転換の必要性を説いておられます。バブル期にデザイン界がもてはやしたポストモダン論などとは次元の違う、本質的な問題提起だと思います。まずは、そのあたりから、お話をお聞かせいただけますか。

丹保 この図が、今日お話したいことの根本にあります。


西欧は産業革命後、西暦1700年ごろから中世に別れを告げ、近代へと入ります。蒸気機関、内燃機関が発明され、石炭、石油の化石燃料をエネルギー源として大量生産、大量消費のパターンが世界に広まりました。食料が増産され、列強諸国は海外に植民地を求め、人口が爆発的に増えます。北海道立総合研究機構の研究者に「そもそも現生人類は、紀元前1万年くらい前から現在までに何人ぐらい生まれたのか。西暦1800年以降の近代が始まってから今日までにどのくらい生まれたのか」と問いかけて、推算してもらいました。

山岡 文明史的に人口増加の変化を推定したわけですね。

丹保 すると、生まれた現生人類の総数は1050億人ほど。そのうち紀元前1万年から西暦1800年にかけて、つまり1万年以上かけて誕生した数は700億人ほど。これに対して、近代に入った1800年以降、わずか200年少々で生まれた数は、なんと350億人ほど。近代以降は、それ以前と比べて平均して年間25倍ほどの勢いで増えていることになりそうです。

山岡 今後、日本は人口が減っていきますが、中国、インド、アフリカを中心に世界人口はしばらく増加し続けますね。

丹保 2100年に100億人に達します。ここで僕は近代文明が終わる、と思います。その終わり方がカタストロフィーなのか、そこから少しずつ人口を減らしてじりじりと違う文明へと移行するのか、わからない。大変なことが起きる予感がします。たとえば地球の水の総量と、世界総人口の大きさを比べてみましょう。100億人になれば、世界人口10億人の時代に西欧でつくられた近代上下水道システムを使い続けるのは難しくなるでしょう。100億人超の時代がきても、1人1年間2000m3ほどの水がなければ食物生産を含む生存のための需要は満たせません。できれば2000~3000m3の水が欲しい。1000m3の極限量に世界人口100億人を掛けると世界の総降水量の15%が必要となる。常識的にはその2倍が恒常的な農業生産の維持に必要なので、総降水量の30%が必要になります。これでは、インド亜大陸、中国本土、中近東、アフリカ乾燥地帯では近代の水システムを未来にわたって使うのは困難です。まったく異なる水利用/循環のシステムが求められます。

山岡 水と並んで、従来型のエネルギー資源も枯渇の壁にぶち当たりますね。

丹保 いま、現代人は、化石エネルギーに核分裂型の原子力エネルギーを併せ持って、人類史上初めて、そしておそらくただ一度の最大量と思われる105TWh/年ほどの非再生型エネルギーを使って、地球規模で高速大量輸送技術に支えられた大量生産、大量消費の日々を営んでいます。しかし100年も経てば、化石燃料や核分裂(ウラン235型)によるエネルギー供給は難しくなります。次の集中型エネルギー源に核融合がくるのでしょうか。100億人超の地球を支える再生可能な新自然エネルギー時代を、現生人類は、エネルギー・イノベーションで、いつ、どのような規模で迎えるのでしょうか。社会構造を変えて成長型の近代文明を止揚し、はびこりすぎた人類の数と過剰資源消費を漸減させ共生の新文明にたどり着く前に、滅亡の危機に合わないで済むのでしょうか。大切なのは、100億人超の時代とその先の後近代に向けて、論点を絞りながら検討を進めることです。


■最後は腹を切る覚悟で西欧技術を身につけた近代の父たち

山岡 人口爆発に従来型システムでは対応できない「近代の崖」にわれわれは追い込まれているようです。が、一方で私たちの思考は1900年ごろの「坂の上の雲」を追った当時の開放型、膨張型のパターンに慣れてしまっています。グローバル化した市場での競争が死活問題と信じ込み、ついそのような近代的パターンを志向しがちになります。

丹保 日本が明治維新後、わずか数十年で近代システムを取り込み、西欧列強に対抗する国家になったのは、近代の礎をつくった世代が「サムライ」だったからです。たとえば後藤新平(1857~1929)、内村鑑三(1861~1930)、新渡戸稲造(1862~1933)、彼らはそれぞれの分野で日本の近代化を推し進めたキーパーソンですが、少年期には、ちょん髷つけて漢籍を学んでいます。根っこの精神は近代でも何でもない。根性はサムライで、最後は腹を切る覚悟で、西欧の新しい技術やしくみを身につけようと猛烈にがんばった。だから、強い。後藤新平なんて、相当に過激なことをしていますね。

山岡 ええ。台湾で民政長官を務めていた初期には、日本の統治を受け入れようとしない人たちを大勢殺しています。後藤自身がそう言っている。あるいはアヘン政策、敵対する言論への弾圧など、凄まじい行動をとっています。最後は、政治の倫理化運動のために脳溢血で死ぬのを覚悟で岡山へ演説に赴く列車のなかで倒れ、京都で亡くなりました。

丹保 腹を切る覚悟で生きているから、近代化をあんなに速く達成できたのです。新渡戸の同級生に廣井勇(1862~1928)という「港湾工学の父」と呼ばれた土木技術者がいます。小樽港や上海の築港に辣腕をふるい、多大な業績を残しています。彼は、自分が設計した橋梁の上を、列車が試運転する「渡り初め」のとき、橋のたもとで震えていたというんです。そのくらい自分がやった仕事が怖かった。彼らが幼少期に習った学問と、西欧近代技術というのはもの凄いギャップがありました。だから緊張し、緊張に耐えて、技術を採り入れた。パイオニアは、自分のやったことを自分では評価しないものです。震えながら他人の評価を受け入れる。そういう姿勢がまた緊張感を生むのでしょう。

山岡 なるほど。かつて福沢諭吉が『瘠我慢の説』という本を書き、勝海舟を批判した際、事実誤認や訂正があれば教えてくれ、と草稿を勝に見せました。すると勝は、「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これ無く候。御差越しの御草稿は拝受いたしたく、御許容下さるべく候」と応えた。出処進退は自分で決めること。その善し悪しを論じるのは他人の仕事。どんな評価を下していただこうとも、まったく依存はございません。送ってくださった草稿は、(おもしろいので)このままいただきたい、と切り返した。福沢も福沢なら、勝も勝です。

丹保 やはりサムライなんですね。

■世界に例のない東海道メガロポリスと海洋開放系

山岡 日本は戦争に敗れ、国が破綻しましたが、戦後の復興、高度成長にはサムライに薫陶を受けた世代がまだ生きていました。戦後の経済発展をどうとらえればいいでしょう。

丹保 日本という国で、ふつうに太陽エネルギーだけで生きていける人口は4000万人です。日本列島を潜水艦に囲まれ、封鎖されても4000万人なら飢え死にせず、喧嘩しないで生きていけます。ところが、現実は1億2500万人。8500万人も過剰です。これだけの人口が生きていられるのは、東海道から山陽道、北九州に至る沿岸部に、千葉、東京、川崎、横浜、静岡、名古屋、大阪、神戸、広島、福岡とメトロポリスが連なり、世界最大(断突)の東海道メガロポリスを形成しているからです。海岸線にこんなに巨大都市が連なった例は、世界にありません。世界中見渡しても、半径50キロを超えるメトロポリスはない。水を運んで、下水に捨てて、ゴミを処理して、都市交通体系で通勤できる都市を造ったら半径50キロ圏になってしまう。それを超えそうになるとパリでもニューヨークでも衛星都市をつくる。ところが、日本は、太平洋岸に串刺しのようにメトロポリスを連ねました。

山岡 そして、太平洋ベルト地帯に工業生産が集中しました。

丹保 石油、石炭、鉄鉱石など原料はすべて大容量の船で海から運んできて、大量にものを製造しました。だいたい50兆円ほどの原材料を輸入し、50~60兆円ほどの輸出をして貿易黒字を出してきた。現在は、円安と石油・天然ガスなど輸入燃料の価格高騰で貿易赤字になっていますが、おおよそ日本のGDPは約500兆円で、貿易依存度は10~15%少々。じつは、ものすごく内需の大きな国です。イギリスは外需の割合が15%、ドイツが40%、韓国は50%ちかいですね。東海道メガロポリスは、膨大な内需と外需を支える生産地帯。土木は、インフラを構築することで、その大都市帯建設に貢献してきました。海を介して、外へ開き、大量のものを運ぶシステムが機能してきたのです。

山岡 日本の強みは海を媒介にできる点です。列島が南北にのび、海岸線が長い日本は、領海と、沿岸から200カイリの「排他的経済水域」を合わせた海の広さが447万平方キロメートルと世界6位。しきりに太平洋へ出ようとしている中国の場合、領海と排他的経済水域を足しても89万平方キロメールと、日本の約5分の1です。

丹保 中国は、歴史的に鄭和(1371~1434)の遠征以来、しきりに海洋へ出ようと試みましたが、本質的に大陸国家です。いくら経済発展してきたからといって、日本のように沿岸部にずらりとメトロポリスを建設することはできません。北京の港は天津、そこから上海まで沿岸部に大都市はできない。大艦隊を建造して、太平洋に出てきても、運べる資源がもうすぐなくなる。アフリカが成長したら中国に資源を渡さなくなるでしょう。

山岡 中国は2030年に14億超で人口のピークを迎えるといわれていますが、かつて日本がたどった近代化コースをもの凄いスピードで走ってきています。

丹保 中国は、いまのうちにきちんとインフラを造っておかないと、高度成長を維持できなくなったとき、社会不安が増大します。大陸や半島での動乱で、大量の難民が日本に押し寄せてきたら、大変な事態になるでしょう。

山岡 日本の高度成長途上では、交通インフラも動脈としての役割を担ってきました。

丹保 なかでも東海道新幹線は、世界で初めて人間しか乗せない高速鉄道として産声を上げました。人間しか乗せないのだから、新幹線は情報系なんですよ。東京―大阪間を日帰りできるほどの高速で人間が行き交い、情報を創造することで高度成長は達成できたともいえるでしょう。

■ポスト近代「閉じた代謝と開いた心」へどう転換するか

山岡 東海道メガロポリスの産業集積は、海の向こうに開いて、1億2500万人の人口を支えてきたわけですが、さぁ、あと80年少々で、世界人口が100億人を突破します。一方で、日本の人口は7000万人くらいまで減ります。日本が22世紀もしっかり生き延びていくには、どのようなパラダイムの転換が求められるのでしょうか。

丹保 ひょっとすると、長い歴史時間の中で、中華文明の下流に位置する日本が、近代を駆け抜けて、一番先に脱近代のチャンスをつかめるかもしれません。縄文以来で初めて、この列島の住人が、世界の次の文明をリードするチャンスを得るかもしれない、と思います。ふり返れば、近代以前の中世は、水や食物、エネルギーの代謝が一定の範囲で閉じ、人びとの心も宗教的規範に従って閉じていました。宗教的規範に忠実に生きる人が、尊敬を集めました。近代は、逆に代謝を開放し、人の心も開放させました。宗教に代わって経済が価値の中心に移って、市場の拡大を善としてシステムが増殖したのですが、それだけでは世界が立ち行かなくなる状況が次々と近代社会を揺さぶり始めます。日本は、世界に先駆けて「閉じた代謝と開いた心」を持った新文明へと転換する成熟度と実力を兼ね備えています。分散自立型都市代謝システムの確立と自然生態系の安定確保がポイントです。

山岡 具体的に、たとえばインフラの整備はどうとらえればいいでしょう。近代150年かけて築いたインフラが老朽化の波をかぶりながら、広範囲にちらばっています。

丹保 思い切ったスケールダウンは必要でしょうね。それと自然とのジョイントをいかにうまくするか。地中にパイプも電線も入っていますけど、それをうまく使いながら、質が若干劣っていてもいいものは、そのまま使う。質の高いものにだけ投資をする、とか。
電力や水、食べ物にしても、質によって使い分けるのが次のテーマだと思います。日本は一番質のいいものを、必要な量だけ供給する近代のぜいたくを尽くした末に、その過剰インフラ構造の保全更新に困難を感じ始めているわけです。現在、日本の食料自給率はカロリーベースで40%ですが、コストベースでいくと70%ちかい。すごく高いものを食べています。食べ物を買えるときは買ってもいい。自給だけを目的に社会を動かすとおかしくなります。しかし、アメリカ・オーストラリア、ロシア・ブラジルが食べ物を売ってくれなくなったとき、どうするのか。中国がもしも人口減少に失敗してね、海外の食べ物にどんどん手を伸ばしてきたら、どうするのか。そこを考え、実行するのは為政者、経世学者の仕事ではないでしょうか。まぁ、インフラ施設は50年かけないと格好がつきません。100年かからないとモノになりません。上下水道にしてもそうです。だから、慌てないこと。ボロボロになったら、手を加えて使えるところだけを使っていればいい。

山岡 情報系とおっしゃった新幹線は、東海メガロポリスだけでなく、東北、上信越、北陸、九州、さらに北海道へと延びようとしています。地方でも情報系の効力は生きますか。

丹保 いや、まったく違うものになるでしょう。東海道では、経済的闘争のために新幹線を10分に1本走らせていますが、北海道や九州では1時間に1本で十分です。人だけを運ぶのではなく、収穫された労働集約型の高級農作物を積む軽貨物車輌をひとつくらい連結して、関東地方に運んで配ってもいい。朝積めば、昼には関東のマーケットにくるでしょう。

山岡 自然とのジョイントもポイントと指摘されましが、どういうイメージですか。

丹保 川で言えば、利根川も隅田川も上流から下流まで泳げるようにする。全部、泳げるように再生する。永代橋のたもとあたりで、とぶーんと飛び込んで水泳大会をしてもいい。江戸時代なんて、そんな感じでしょう。川の上下流(流域)で、江戸の諸藩はまとまりをもって郷国を作り上げてきました。川はその要です。

山岡 都市の構造そのものが変わるのでしょうね。

丹保 これは乱暴な意見かもしれませんが、日本人は22世紀初頭に7000千万人に減っても、グリーン自立には2000万人くらい過剰です。そこで日本を二層構造にして、東京をシンガポールのような経済特区する。そして2000万人の経済戦士に東京圏に住んでもらう。特区ですから、税金のかからないフリーマーケットにして、電力も水も食料も、他地域からお金を払って買ってもらう。東京はグローバルな競争に勝ち抜くための戦士の集団と化す。そして闘いに疲れたら、北海道にきて休んでいただく(笑)。

山岡 人口7000万人社会を前に、どんなビジョンを描くかが大切ですね。東京の話で思い出しましたが、ご著書の『都市・地域 水代謝システムの歴史と技術』(鹿島出版会)によれば、首都圏の水資源量は極端に少ないのですね。

丹保 世界で住民一人当たりで最も水がないところは、年間1000m3/人程度しかないサハラ砂漠以南のサブサハラアフリカです。年間1人1千トンの水で、辛うじて生存を維持しています。その次に少ないのが、日本の関東地方なんです。4000万人もの人が集中していて、GDPはフランスより高く、経済活動で水を使いまくっています。関西には琵琶湖がありますが、関東は利根川上流に、大量に溜めておくところがない。

山岡 関東圏はいつ水飢饉が起きても不思議ではないのですか。水の代謝を維持しようとしたら、周辺にたくさんの水甕(ダム)を造らなきゃいけなかったのですね

丹保 はい。雨はコンスタントには降りませんね。ふだんは水が足りなくても、大雨が降れば洪水が起きる。ある程度溜めておかなければいけません。それで利根川上流に20幾つものダムが造られたのです。

山岡 では、後半は、水の循環、上下水道のシステムに話題を移したいと思います。
(後編に続く)