2013年10月31日木曜日

第12回 鹿島建設副社長 田代民治さん

対談日:2013年8月27日  於:土木学会会議室

田代民治さんプロフィール

1948年福岡生まれ 1971年東京大学工学部土木工学科卒 鹿島建設株式会社代表取締役副社長.
1971年鹿島建設入社.川治ダム,恵那山トンネル,厳木ダムなどの工事事務所を経て1994年同社横浜支店宮ケ瀬ダム本体JV工事事務所長,1995年広島支店温井ダムJV工事事務所工事長,2000年東京支店土木部長,2005年執行役員東京土木支店長,2007年常務執行役員土木管理本部長,2009年取締役専務執行役員土木管理本部長.2010年から現職.
この間,日本建設業連合会公共工事委員長,日本建設情報総合センター(JACIC)理事,日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)理事,エンジニアリング協会理事,日本河川協会常任理事,ダム工学会副会長,日本ダム協会理事・施工技術研究会委員長,日本大ダム会議理事,土木学会理事・副会長などを歴任.


■川治ダムで職人たちに教えられた現場感覚

山岡 本日は、インフラ建設の現場を知り尽くす田代民治さんに技術者の本音をお聞きしたいと思います。田代さんは1971年に鹿島建設に入社され、川治ダムを振り出しに、中央高速の恵那山トンネル、厳木(きゅうらぎ)ダム、宮ケ瀬ダム、温井ダムと1974年から26年間、現場に関わった後、管理部門に移られました。そもそもインフラづくりを志したきっかけは何だったのですか?

田代 大学は橋梁研究室を出たのですが、自然を相手に巨大で人の役に立つものをこしらえたいと思い、山岳土木を志向しました。学生時代に観た『黒部の太陽』(1968年公開)の影響もありますね。黒部川第四発電所(黒四ダム)建設では、資材輸送のための「関電(大町)トンネル」の開通工事が難航を極めました。破砕帯の突破に7カ月もかかったのです。この映画は困難に立ち向かった男たちの物語です。主演の三船敏郎さん、石原裕次郎さん、さらにトンネルの先に建設された実際の黒四ダムの圧倒的なスケールに心打たれました。

山岡 最初の現場、川治ダムでは、どのようなことを先輩から教えられましたか?

田代 現場の所長が、ダムの上流側に私を連れて行ってくれまして、「きみ、ダムができた姿が見えるかね。俺には見える。きみも見えるようになったら一流のダム屋だ」と言われました。びっくりしました。目の前には雄大な山と、渓谷があるだけですからね。

山岡 明治維新の軍略家・大村益次郎は地形が読めて作戦を立案できたと言いますが、現場の所長の想像力は相当なものですね。

田代 おそらく頭のなかで三次元の図面を組みたてていたのでしょう。現場では、職人から技術を教わりました。彼らは、荒っぽくて気難しそうだけど、凄い感覚を身につけていた。たとえば、山の稜線は一律に同じ角度で傾斜しているわけではなく、部分的に平なところもあります。図面では、その下の急斜面から切る(掘削する)ようになっていても、ちょっと待て、平なところから切ったほうが安全だ、と教えられました。ごくわずかの角度の変化なのですが、彼らは、それを見抜く目を持っていました。あるいは、発破をかける職人は、岩盤の目の具合や、吹き飛ばした土石の崩れ方、どの方向にブルドーザーで押して、どうすくって土捨て場に運ぶのかを考えたうえで、爆薬や詰め物を調整していました。そして、最も効率のいい方向へ岩盤を倒していた。他にもケーブルクレーンを据え付ける職人、コンクリートを締め固める職人、それぞれ土木屋としての高いプライドを持って働いていました。新人だった私は、彼らから土木技術の現場における基本を教わりました。

山岡 以前、私は、70代の元建設官僚から、田中角栄・元首相に中央工学校で土木のイロハを教えたのは、東京都建設局長を経て参議院議員、衆議院議員を務めた石井桂氏だったと教えられました。「田中に青竹でコンクリートを突いて、締め固めるのを教えたのは俺だ」と石井氏は言っていたそうですが、田中の政治家としての国土建設への執念は、現場の経験、現場に継承された土木の遺伝子なくしてはありえなかったと思ったものです。

田代 われわれの時代は、もう竹で突っつくようなことはなかったのですが、昔は、一輪車にセメントと砂利を載せて運んで、コンクリートを練ることもやっていました。ものをつくるからには、きちんと仕上げたい、いいものにしたいと思うのは、日本人に共通のDNAだと思いますねぇ。



■自然と調和する感覚を三次元CADで視覚化したい

山岡 田代さんが技術者として研鑽を積まれた1970~80年代は、土木技術が急速に進んだ時代でもありました。

田代 その象徴が油圧式機械の普及です。油圧式で小さな装置で大きなものを動かせるようになり、微妙なコントロールもできるようになった。コンクリートの締め固めも油圧式機械でやるようになりました。安全面でも格段に向上した。油圧革命と言ってもいいでしょう。

山岡 機械の進歩が、熟練した技術者の研ぎ澄まされた感覚を後景に追いやったのかもしれませんが、図面では描けない現場感覚、あれっ、これは少し違うぞとか、もっとこうしたほうがいいという感覚は、機械が代行できるものなのでしょうか。

田代 その「あれっ」という感覚は、私なりに言うと、自然と調和する、自然となじむ感覚なんです。それは山や川と毎日、向き合って培われます。じつは、私は、その感覚を、何とか視覚化したくて、三次元CADを初めてダムの計画に応用したんですよ。宮ケ瀬ダムの計画のときでした。たぶん日本で一番早く、入れたんじゃないかな。土木の設計・計画にとって重要なのは、見えないものを見えるようにすることです。地形とか、地質とか、情報を全部入れて、三次元CADにすれば完成形に近いものができると思ったのです。

山岡 川治ダムの所長が「俺には見える」と言ったダムの姿を三次元CADで描こう、と。

田代 そうですね。図面上でも三次元にすれば、ここはちょっとおかしいな、というのは気がつきます。実際にはまだ山を掘っていなくても、図面上でも一応掘った形が見えます。だから、宮ケ瀬ダムの片側の天端は、もともと道路をつけるプランだったのですが、三次元CADでチェックしたら、山が無茶苦茶になってしまうので、トンネルに変えてもらいました。

山岡 景観的なこともシミュレーションできるということですか。

田代 そうですね。世のなかが景観重視へ変わるにつれて、三次元CADで視点を変えて、いろいろ描いてチェックするようになりました。それと、設計段階を大きく変えたのはコンピュータの発達ですね。私たちが新入社員だったころは、まだ手回し式の「タイガー計算機」でした。足し算、引き算機能があって、加減計算を連続して行うことで掛け算、割り算にも対応するというものです。その後、関数計算機が出て、コンピュータになって、自動化がどんどん進みました。測量の分野では、光波測距儀が普及して、いまではGPSも利用できるようになりました。まさに隔世の感があります。しかし、そうやって技術が進んだために職人を現場から追い出してしまったのかもしれないですねぇ。

山岡 技術が進む一方で、1990年代に入ると、自然環境とダムのあり方を見直す声が高まりました。脱ダム宣言も出されました。どのように受けとめましたか?

田代 脱ダムで、インフラいらない、と言われると、俺たちは、いったい何のためにやってきたのか、と愕然としました。私は、インフラをつくって人の役に立てる、自然と向き合って、ものをつくる。この二つを人生の大きな歓びにしていました。それを、いらない、と言われると……。現場の人間としては歯がゆかったですね。確かに、ダムの建設によって先祖代々暮らしてきた土地を追われた方々もいました。故郷が水没してしまう悲しみは想像を絶するものかもしれません。そういう方々ともおつき合いしてきました。それなりに新しい生活に踏み出された方もいます。だから、自然破壊だと言われると、ちょっと待ってほしい。高度成長を支えた電力は、どうやってつくられたのですか。戦後、毎年のように水害で多くの人が命を落としていたのを安全に治水ができるようになったのは、ダムと関係ないのですか。水がない、渇水だ、ダムをつくれと、マスコミは大騒ぎをしていたのを忘れたのでしょうか。冷静に、インフラを見つめてほしいです。

■アルジェリアの高速道路建設

山岡 この連載を通して「適切な公共事業とは何か」「正しいインフラ整備って何だろう」と私は自問してきました。戦後の高度成長期からバブル期にかけて、右肩上がりの成長プロセスで、残念ながら土木建設業界と政界、官界が癒着し、国民の信用を失ったのは事実です。無駄な公共事業もあったでしょう。だからといって、公共事業はすべて悪、公共投資は減らせるだけ減らせばいい、というのは無謀です。極端な二項対立、オール・オア・ナッシングの思考は混乱しか生みません。では、社会全体にとって理想的なインフラ整備とは何か。よりよい方向へ進むにはどうすればいいのか。改めてそこが問われています。

田代 海外に行きますと、日本は、なぜ、あんな小さな国なのにアメリカや中国に劣らない力を持っているのか、敗戦の痛手も受けたのに、なぜ経済力をつけたのかと不思議がられます。日本が力をつけた理由のひとつは、インフラの力だと思います。世界で水道の水が飲めるのは日本くらいです。交通網が整備され、分刻みで鉄道が正確に運行されている。電力供給のシステムが整い、停電はほとんどありません。このような高いレベルの生活が維持できているのは、インフラがきちんとつくられてきたからではないでしょうか。すべてインフラだけが支えているとは言いませんが、大切な要素には違いないと思う。

山岡 日本人の勤勉さや、互いに協力しながら何かをこしらえる特性が、質の高いインフラを構築してきたのでしょう。

田代 じつは、うちの会社はJVで北アフリカのアルジェリアで高速道路の建設をしています。なかなか、お金を払ってもらえなくて、苦労しているのですが(笑)。東西に走る1200㎞の高速道路のうち、日本は400㎞を担当しています。600キロは中国が請負っています。アルジェリアでは、お世辞半分にしても、日本の技術はすごいと言われます。われわれの受け持ち区間にはアージライトと呼ばれる超脆弱な地質のところがあって、トンネルを掘るのに苦労をしてきたのですが、日本の技術なら大丈夫だと信頼されています。この技術的信用力が、日本のバックボーンなのです

山岡 中国が気になりますが、中国はどんな方法で高速道路を建設しているのですか。

田代 日本と違って、人海戦術が中心ですね。彼らは労働者もごっそり中国から連れてきます。国策でやっていますから、パワーを感じます。舗装など普通の作業だけなら、そんなに難しくないです。人海戦術は、日本には真似できません。われわれには、現地の人を使い、現地の技術を高めることも期待されていますからね。

山岡 中国の労働者海外派遣にはいろんな噂がつきまとっていますが……。

田代 労働者がどういう人たちなのか、わかりませんが、現地で宿舎を建てて生活をしている状態を見ると、豊かな人たちではない。どこでも暮らせる雰囲気の人たちですね。

山岡 アルジェリアの現地の人をどう使うか。マネジメントは難しいでしょう。

田代 やはり、宗教の違いが大きいですね。とくにイスラムの人たちとは。向こうが日本人の良さを理解してくれるといいのですけど、なかなか難しい。地質の悪い、難しい工区では、どうしてもキチッと日本人はやりたがる。いい加減なものはつくれないという自負があります。それは江戸時代の玉川上水をつくったころから日本人の土木屋のなかで積み重ねで養われてきたものです。だから、ついやり過ぎてしまう。そうすると、うまく利用されてしまう。なかなか簡単ではない。



■土木の未来

山岡 では、将来に向けて、土木技術をさらに発展させていくには、どのような課題が考えられるでしょうか。

田代 日本の土木技術は、複雑な地質や地形、さまざまな状況に対して、ハイレベルを維持しています。しかし、それだけでは世界に売れません。やはり、総体的なシステムとして売ることを考えねばならないと思います。新幹線のシステムの売り込みは、よく話題に上りますが、水の配分システムも十分可能性があると思います。川の上流にダムをつくって、浄水場で処理して、飲める水を管理して配る。上下水道のシステムを、建設会社だけでなく、オールジャパン体制で輸出する。ある程度、パッケージにすることが大切でしょう。そういう意味では、土木技術者は、全体を俯瞰できる目があるのではないでしょうか。全体を見とおす力を、土木は学問的に持っています。

山岡 常々、私が着目しているのは「海」です。日本の海岸線は非常に長く、領海と、沿岸から200海里の「排他的経済水域」を合わせた広さは、世界で第六位。そこには、豊富な海洋資源が眠っています。

田代 海は、重要な視点ですね。わが社もJV代表会社としてゼネコン、マリコン、ファブリケータなどと一緒に、羽田空港の四本目の滑走路「D滑走路」の建設工事を行いました。世界でも珍しい埋立と桟橋を組み合わせたハイブリッド工法を採用しました。海洋の可能性は高まっています。これからの技術開発の焦点になるでしょう。

山岡 インフラの老朽化問題は、どのようにとらえていますか。

田代 高いレベルの生活を保つには、よりよい性能へとインフラを更新する必要があります。高速道路のトンネルの天井版だって、最近の高速道路には設置していません。古いものをそのままにせず、新しくして質の向上を図る。鉄道は、リニア新幹線が決まって技術力は上がるでしょうが、他の分野でもイノベーションのためにはインフラの更新が不可欠です。ダムにしても、電力と治水のダムを組み合わせれば、新たな可能性が拡がります。

山岡 電気、水道、ガスなどライフラインの老朽化も進んでいます。

田代 シールド工法が確立されて、ライフラインをまとめて地下に通す「共同溝」が、すでに出現しています。東京湾や名古屋湾の海底の地下では、エネルギーの供給ラインが共同溝で造られている。シールドにしておけば、点検も簡単にできるし設備の交換も容易で、長寿命化につながります。古くなったインフラを、ずっと使い続ける、朽ちるのを遅らせるというだけでは、限界があると思います。更新が次々と行なわれ、身近なインフラが変わって注目されれば、現場の人間たちの士気も間違いなく、上がります。

山岡 見えないものを見る「可視化」は、今後も土木技術の鍵を握りますか。

田代 「時間」を取り込んだ四次元へと可視化の範囲は拡がるのではないでしょうか。物理的に見えない部分を透視するとともに、この時期、この時期、と時間経過でものを眺めることが、土木にとっては有効なのです。見えない水脈や、地質の断層を可視化すると同時に時間軸を入れた情報を組み合わせてみると、非常におもしろくなりますよ。

山岡 最近は、CGを駆使した津波シミュレーションとか、土石流の解析シミュレーションなども開発され、防災・減災面での活用が拡がっています。

田代 あれは、動画として時間を採り込んでいますね。勝手な想像かもしれませんが、日本全国、すべての地質がね、情報として見えたら、それはすごい話になります。よくハザードマップと称して、危険地帯を示したりしていますが、どこまで危険なのか、なかなかわからない。あれを、もっと統一的に詳細に広範囲でまとめたら、かなり有効なデータになるでしょう。

山岡 不動産業界は震え上がるかもしれませんが、徹底的にやったらすばらしい。


2013年10月15日火曜日

第11回 橋梁調査会専務理事 西川和廣さん

対談日:2013年7月26日  於:土木学会会議室

西川和廣さんプロフィール

1953年東京生まれ 1978年東京工業大学大学院 理工学研究科 修士課程 土木工学専攻。(一財)橋梁調査会専務理事。
1978年建設省土木研究所橋梁研究室研究員、89年建設省東北地方建設局酒田工事事務所長、91年建設省土木研究所橋梁研究室長、2003年(独)土木研究所企画部長、2009年国土交通省国土技術政策総合研究所長などを歴任。

専門は橋梁工学。橋梁の維持管理の第一人者。道路橋示方書の改訂に長期にわたり参画。阪神淡路大震災時には鋼製橋脚の耐震補強の研究にも携わる。土木学会論文集他、学協会誌掲載論文多数。


■「荒廃するアメリカ」と山形県酒田の現場―トリアージで救える橋がある

山岡 今日は、橋梁に焦点を絞り、維持管理の理論と実践のトップランナー、西川和廣さんをお迎えしました。西川さんは、橋の経年変化、老朽化の問題に工学的視点から最も早く、警鐘を鳴らした専門家です。1980年代初頭、米国でインフラの老朽化が大きな問題となり、『荒廃するアメリカ』という本がベストセラーになりました。まさにあの時期に渡米し、維持管理の研究をされておられます。

西川 83年9月から1年間、ペンシルベニア州のベツレヘムという町のLehigh大学で研究をしました。米国道路庁の人に会って、率直に訊ねたところ、「米国では最近まで橋の維持管理をしなくてはいけないとは思っていなかった」と言われました。やっぱり、そうだったのか。日本とまったく同じだった(笑)。ただ、米国では1968年にシルバー橋が落ちて、2年に1回点検する法律ができて、点検する技術者を教育するNHI(National Highway Institute )もつくられており、しくみは素晴らしかったのです。ところが、その割に橋が落ちる(笑)。行政が予算をつけて「米国の橋はなぜ落ちるのか?」と大学に研究させました。結論は、財源の問題。維持管理にお金が回らないからです。米国でも別途予算を用意しなくてはなりませんでした。当時、ガソリン1ガロンに対して、ガソリン税を4セント増やして道路の維持管理費に充てていました。

山岡 米国の道路や橋は、かなり傷んでいましたか?

西川 ニューヨークの高速道路はガタガタでしたね。でも、まだ使っていました。ベツレヘムの地元紙にはいつもどこそこの橋が閉鎖されたと載っていました。現場に行ってみると、橋に穴があいたり、腐っていたり……。財源的理由とは別の意味で、工学的観点からみても、実際に米国の橋はよく落ちました。理論通りにつくっているから、理論通りに落ちる。日本の橋は、欧州の橋と設計の流儀が近いからかもしれませんが、なかなか落ちません。

山岡 日本は安全率を高く見積もっているからですか。

西川 いや、そうではなく、思想の違いです。日本では橋の床であるコンクリートの床版と、それを支える床桁を、橋本体のトラス構造とガチッとくっつけて固定しています。そうしたほうが、何かあったとき役に立つだろう、という考え方です。米国はそうではなく、本体の上に支承という支点をかませて、その上に床桁をポンと置いている。だから落ちる時はストーンと落ちる。日本の橋は、トラスが一本くらい切れても、床ががんばって首の皮一枚で止まる。先輩方のつくり方がフェイルセーフになっていました。欧州流が役立ったのでしょう。

山岡 米国から戻られて、建設省本省の道路局を経て、東北地方建設局酒田工事事務所長に就任されていますね。そこで、過酷な状況に直面されたそうですが……。

西川 ええ。山形県の日本海側を走る国道7号線、ここは波浪のしぶきが危険で交通止めになるほど海岸に近い場所を通っています。それで塩害が凄かった。コンクリート橋が架けて10年後くらいから塩害が出始めて、ピアノ線で引っぱっていたけれど、コンクリートのなかはボロボロ。構造的な計算をしたら、落ちないのが不思議なくらいでした。ここでも床版が頑張ってくれたお陰で、落橋を免れていた。損傷のダメージの大きな順に橋を直していたのですが、追いつかない。最終的に15橋、すべてを架け替えることになりました。いまから思えば、トリアージをして、損傷度の低い橋から直せばよかった。

山岡 トリアージは、災害救援時の緊急医療の考え方ですね。手当てをしても助かる見込みのない患者より、救える可能性のある患者の治療を優先する。厳しいようですが、ひとりでも多くの命を救おうという取組みですね。

西川 維持管理というのは、リアリズムの世界なんです。起きている現象に対して、帰納的にどう対応していくかが重要です。一方、新しい橋をつくる設計は、理論、仮定、条件を積み重ねると一定の正解にたどりつきます。つまり演繹的手法。学校でも教えやすい。しかし、維持管理は、そうではない。波しぶきを毎日のようにかぶる、とてつもない重量のクルマが通るなど、与条件がどんどん変わります。そこで発生した現象の解釈から始まり、帰納的に対策を立てねばなりません。設計と維持管理は思考回路が逆なのです。

山岡 おもしろいですねぇ。それは法学と臨床医学の違いに似ています。法学は、演繹的に法体系を構築する。逆に臨床医学は、患者の体で起きている現象、症状を診断し、帰納的に治療方法を探る。思考のベクトルが違うので、たとえば医療現場で起きた事故を、法的に裁こうとすると難しい。医療側の明らかなミスや怠慢は別ですが、患者の生命を救おうとした治療の過程で起きた事故を、法体系の枠組みで解釈するのは困難です。


西川 おっしゃるとおり、維持管理は臨床医学に似ているんです。コンクリート橋にとって塩害は大敵です。橋の寿命を縮める。どうすれば予防できるのか、延命できるのか、いろいろ試行錯誤しました。その結果、要するに塩害は「肝臓病」だと気づきました。肝臓は我慢強い臓器なので、症状が出てからでは遅すぎる。だったら「血液検査」をしましょう。橋のコンクリートのコアを適当な時期に抜いて、輪切りにして検査をします。コアの表面にどの程度塩が飛んできているかと、浸透した塩分量でコンクリートの質がどうかをチェックすれば、将来像が大体わかります。

■1990年代前半に提唱した「工学的永久橋」と「ミニマムメンテナンス」

山岡 なるほど。そうした研鑽を経て、西川さんが提唱されたのが橋の長寿命化に向けた「ミニマムメンテナンス」。1990年代前半、土木業界では「橋の寿命は50年」と言われていた時代に、長持ちさせて、きちんと補修しながら使おうと正論を唱えられた。なかなか勇気がいったでしょう(笑)。

西川 ははは。土木学会の研究討論会で長寿命化の話をしたら、そんなことをしたら橋の需要がなくなるじゃないか、と面と向かって言われました。私、そのとき大声で怒鳴り返しました。そういう時代でした。

山岡 怒りはどこからこみあげてきたのですか。

西川 あのころ、15m以上の主要な橋が13万橋。50年で寿命が尽きるなら、13万橋を維持するには、13万を50で割って、毎年2,600橋架け替えないといけないことになります。新設橋は年間大体2,000橋でした。更地につくることが多い新設橋と違って、使われている橋の架け替えは仮橋をこしらえたり、交通規制を行なったりしながらの工事になる。お金も手間も時間もかかります。日本各地で、そんな工事が行われれば大渋滞が発生して、途方もない社会的損失になる。現実問題として2,600橋の架け替えなどできるわけがない。

山岡 できもしないことを、当然のように言うのは幻想ですね。西川さんの維持管理のリアリズムに反したわけだ。では、ミニマムメンテナンスとは?

西川 「工学的永久橋」という概念を提唱しました。そもそもメンテナンスフリーで、全然手入れをしないというのは大間違いです。最小限の手入れ=ミニマムメンテナンスで、永久橋、当時は1000年橋と言っていましたが、最近、かなり値切られて100年になりましたけど、要は長持ちする橋をつくろう、という考え方を提起しました。最小限の手入れでも、永久橋ができる。橋の寿命を延ばすには、計画設計、施工、維持管理の3回チャンスがあります。まずは、計画設計段階で、環境に応じた仕様が大切です。たとえば、橋桁の鋼材でも、山間部の寒冷地で腐食の心配が少ないところなら耐候性鋼材の無塗装のものが使える。一方、海岸部であれば、塩害、腐食のリスクが高いので溶融亜鉛めっきと塗装の併用が望ましい、とか。

山岡 1000年橋とは、強烈なインパクトがあったでしょうね。


西川 橋梁メーカーはショックを受けたようですが、いろいろ一緒に考えてくれるようにもなりました。誤解しないでほしいのは、私は橋の架け替えがダメだと言っているわけではないのです。重要度の高い橋や、損傷の度合いの大きな橋のなかには、当然、架け替えねばならないものもあります。あるいは国に経済的に余裕ができて、陳腐化した橋を国民の生活水準に合ったものに架け替えようというのであれば、やればいい。問題は、根拠の薄弱な理由で、どんどん架け替えればいいとする、安易な考え方なのです。年間2600橋の架け替えなんて無理。橋の平均寿命が50年というのは、50年経った橋の50%がダメになるという考え方です。私は、この割合を20%、10%にできないか、と考えたのです。全体を後ろのほうに倒すのであれば、架け替えの仕事も、なくなりはしません。

■市町村が管理する橋に国のモノサシ(保全基準)は合わない

山岡 時代を先取りしたミニマムメンテナンスの提案から、20年ちかく過ぎました。予想どおり、古い橋が増えています。ところが、橋の維持管理をできる技術者が減っていると聞きます。これは由々しき問題ではありませんか。

西川 かつては、建設省が土木・建築業界にどのくらいの需要があるか目配りをしていました。昨今は、公共事業削減が続く中でほとんど目配りできていない。その結果、最低限必要な技術者すらいなくなっています。その一方で、技術開発、技術の継承をしろ、というのは矛盾でしょう。困っているのは、長大橋です。すごく厳しいです。10年以上、日本の企業は大きな吊り橋を架けていませんからね。辛うじて、海外で下請けの架設をやっていたり、地方自治体の離島架橋をやっていたりしていますが、技術の継承と言ってもぎりぎりのところではないでしょうか。

山岡 本四連絡橋は、日本の橋梁技術の高さを象徴するものでしたが……。

西川 残念ながらもう仕事がないんです。本四の会社に残っている人で、実際にご自身で吊り橋をつくることに関わった人は、ほとんど退職した。あるいは辞める間際の人しか残っていません。その後、入った人たちは、気の毒だけど、つくるところは経験していない。でも、本四連絡橋は、当初、かなりお金をかけているし、対策も練っています。まだ、大丈夫です。

山岡 では、日本の橋全体の維持管理は、どこから、どう手をつければいいでしょうか。

西川 私も国交省にいたころは、国直轄の国道とか、高速道路の橋しか頭になかったのですが、いまは地方のことで頭がいっぱいです。小さな橋を含めると日本には60~70万もの橋があります。そのうち76~77%が市町村の管理なんです。国は、えらそうなことを言ってますが、直轄は、数で3.1%、延長にしても12%足らずです。圧倒的多数の市町村管理の橋が、ピンチです。点検する人も、補修する人も足りません。

山岡 過疎地の市町村道では橋の維持管理が問題になりますよね。

西川 そもそも国の高速道路や直轄国道は、地図に落とせば日本の骨格になっています。どこかの路線が使えなくなれば、国の形が崩れます。だから、考える余地もなく、朽ちてきたら架け替えます。ハイレベルの予防保全基準に則って、高度な管理をしなくてはいけません。が、しかし、よく見てください。地方道は、骨格ではなく、むしろ神経系にたとえた方がよさそうです。とくに市町村道は、行政サービスなどを住民ひとり一人に伝える末梢神経です。ですから、神経につながる地域や集落の動向によってきめ細かい対応をする必要があるのに、国道に近い維持管理が求められて困っているようです。

山岡 中央官庁は、このような問題があることをわかっているのでしょうか。

西川 わかっているとは思えません。たとえば、市町村が橋を架け替えたり、大規模な補強をしたりする際、とくに国から補助金を支給された場合は、国の技術基準に準拠しなくてはなりません。この要求水準が高すぎて、地元の土建屋さんは背伸びをしても届かないのです。これでは意味がない。手の届くレベルにして、向こう10年間、とにかく、騙し、騙し使ってもたせる。まずは応急処置でやってみて、期限がきたら、また手を加える。そんな方法も検討されていい。今後、日本全体の人口が減っていくなかで、高度成長期の右肩上がりのころの基準は、使い勝手が悪いのです。

山岡 国のモノサシは合わないのですね。ただ基準を下げて、安全面はどうですか。 

西川 南海トラフが動いて、大地震が発生したら、ごめんなさい、です。過疎地で橋の維持管理に困っている人たちに、そう言ったら、皆さん、「そうなったら仕方ない、いいんだよ」とおっしゃいます。これは、一種のリスクコミュニケーションかもしれません。

山岡 実際に西川さんは、地方に出向いて、橋の維持管理の指導もされていますね。

西川 はい。一例をあげると、長野に「NPO法人 橋梁メンテナンス技術研究所」があり、「あなたもできる橋の点検」と題して、素人の向けの点検要領をつくっています。点検要領は紙1枚で、「橋の下から眺めて、白い筋が入っていませんか」などのチェック項目に、○×で応えるといった、まさに「あなたにもできる」点検になっています。また、宮崎県では、全体を見て、橋が折れたり、くの字になっていたら、まずい。桁の端部だけ近寄って見なさい。ハシゴで行ける所までで点検は止めて、高くて、怖いところには行ってはいけません、など基本的な助言をしました。

山岡 住民自身が、点検をすることで、どんなメリットがあるのでしょうか。

西川 まず、人件費のコストを下げられますよね。また、問題のない橋を省けるので、橋当たりの点検料が節約できるし、情報を早く集められます。自信のない人は、最後の判断をしてはいけませんが、見ないで放置するよりは、よほどいい。


■人口減少下の維持管理―キーワードは日本流「共通善」

山岡 もうひとつ気になるのが、施工不良の問題です。老朽化が進むうえに、元々の施工が悪ければ、これは大惨事になる怖れがあります。

西川 つくった後の施工チェックは、難しい、わからないんですよ。コンクリートが固まったら見かけでは判断できません。鉄も、工場で溶接してしまうと、なかなかチェックできない。だから施工中の品質管理が大事なんです。鋼橋では、大事なところは、超音波とエックス線撮影で検査をします。海外の落橋事故のなかには、鋼材の溶接が薄皮一枚のような状態だったケースもあります。本来はエックス線検査をすべきだったのでしょうが……。

山岡 東京五輪の突貫工事でつくった道路や橋は大丈夫でしょうか。

西川 工期が短かったので、多少、懸念はありますね。ただ、日本人の感覚から考えて、危険につながるようなひどい手抜きはしていないでしょう。2000年ごろに首都高速に疲労亀裂が出たので、橋脚を一つひとつきめ細かく点検し、補修しました。道路に比べると、鉄道の維持管理はレベルが高いです。ほとんどすべての橋が標準設計なので、あるところに亀裂が出たら、同じ条件の場所を洗いだして、一斉に点検する。並行して、亀裂の原因解明と改良方法を練る。検討結果が出たら、まだ亀裂が出ていない所も含めて、全部、改良するんです。何か問題があれば、問題自体を消す、いわゆるトラブル・シューティング。米国海軍流の最高レベルの予防保全です。

山岡 さて、国土強靭化基本法も、国会に提出されました。いままで後回しにされていたインフラの維持保全にも光が当たりそうですか。

西川 現場は、手応えを感じ始めたところでしょうか。われわれは、いま、三つの大きな災厄に向きあわねばならないと思っています。ひとつは、確実に発生すると予告されている巨大地震、二つ目がインフラの老朽化、三つ目が想像を超えた人口減少です。国土技術政策総合研究所の所長時代、毎月、部長会議で、この三つを同時に考えてほしいと言い続けました。

山岡 人口減少社会を前提に、どんな優先順位で取捨選択をするか。悩ましいですね。

西川 人が足りないということは動かせない前提条件なので、発想を逆転して、「全員参加」をモットーになるべくたくさんの一般住民の方を橋のちかくまでお連れして、維持管理の話をしています。皆さん、非常に興味を持っていきいきと聞いておられます。インフラの大切さを再認識されるのですが、地域を支える基盤との距離が縮まることは非常に重要だと思います。
山岡 今日、お話しながら、広い意味で私たちの思想が試されていると感じました。インフラに手を入れて、長く使い続けることの正しさは、おそらく政治学でいう「共通善(Common good)」に直結しています。共通善とは、聞き慣れない言葉だと感じる人が多いかもしれませんが、単純化して言えば、社会や国家など政治共同体全体にとっての善を指し、ある特定の個人や集団にとっての善とは明確に区別されるものです。明治維新以降、日本が真似た西欧社会の底辺に脈々と流れている価値観ですね。そこが、いま試されているのだろうと思います。

西川 米国なら、仮に橋や道路が荒廃しても、極論すれば、ダメになったところは放り出して、どこかへ行けばいい。国土が広いですし、社会にそういう価値観が根づいています。古い街並みがスラム化して、治安が悪化すれば、お金のある人は、どんどん他へ移る。日本では、そのやり方は不可能です。山が大部分を占める国土で、平地という平地は開発し尽くされています。ダメになって放り出せば、社会機能がマヒする。なんとか手を入れて、長持ちさせて、使いながら、更新できるものは更新する。ステップ・バイ・ステップで、やっていくしかありませんね。

山岡 日本には「もったいない」と「お互いさま」という二つのキーワードがあります。そのあたりが、日本流の「共通善」の鍵を握るような気がします。