2013年10月31日木曜日

第12回 鹿島建設副社長 田代民治さん

対談日:2013年8月27日  於:土木学会会議室

田代民治さんプロフィール

1948年福岡生まれ 1971年東京大学工学部土木工学科卒 鹿島建設株式会社代表取締役副社長.
1971年鹿島建設入社.川治ダム,恵那山トンネル,厳木ダムなどの工事事務所を経て1994年同社横浜支店宮ケ瀬ダム本体JV工事事務所長,1995年広島支店温井ダムJV工事事務所工事長,2000年東京支店土木部長,2005年執行役員東京土木支店長,2007年常務執行役員土木管理本部長,2009年取締役専務執行役員土木管理本部長.2010年から現職.
この間,日本建設業連合会公共工事委員長,日本建設情報総合センター(JACIC)理事,日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)理事,エンジニアリング協会理事,日本河川協会常任理事,ダム工学会副会長,日本ダム協会理事・施工技術研究会委員長,日本大ダム会議理事,土木学会理事・副会長などを歴任.


■川治ダムで職人たちに教えられた現場感覚

山岡 本日は、インフラ建設の現場を知り尽くす田代民治さんに技術者の本音をお聞きしたいと思います。田代さんは1971年に鹿島建設に入社され、川治ダムを振り出しに、中央高速の恵那山トンネル、厳木(きゅうらぎ)ダム、宮ケ瀬ダム、温井ダムと1974年から26年間、現場に関わった後、管理部門に移られました。そもそもインフラづくりを志したきっかけは何だったのですか?

田代 大学は橋梁研究室を出たのですが、自然を相手に巨大で人の役に立つものをこしらえたいと思い、山岳土木を志向しました。学生時代に観た『黒部の太陽』(1968年公開)の影響もありますね。黒部川第四発電所(黒四ダム)建設では、資材輸送のための「関電(大町)トンネル」の開通工事が難航を極めました。破砕帯の突破に7カ月もかかったのです。この映画は困難に立ち向かった男たちの物語です。主演の三船敏郎さん、石原裕次郎さん、さらにトンネルの先に建設された実際の黒四ダムの圧倒的なスケールに心打たれました。

山岡 最初の現場、川治ダムでは、どのようなことを先輩から教えられましたか?

田代 現場の所長が、ダムの上流側に私を連れて行ってくれまして、「きみ、ダムができた姿が見えるかね。俺には見える。きみも見えるようになったら一流のダム屋だ」と言われました。びっくりしました。目の前には雄大な山と、渓谷があるだけですからね。

山岡 明治維新の軍略家・大村益次郎は地形が読めて作戦を立案できたと言いますが、現場の所長の想像力は相当なものですね。

田代 おそらく頭のなかで三次元の図面を組みたてていたのでしょう。現場では、職人から技術を教わりました。彼らは、荒っぽくて気難しそうだけど、凄い感覚を身につけていた。たとえば、山の稜線は一律に同じ角度で傾斜しているわけではなく、部分的に平なところもあります。図面では、その下の急斜面から切る(掘削する)ようになっていても、ちょっと待て、平なところから切ったほうが安全だ、と教えられました。ごくわずかの角度の変化なのですが、彼らは、それを見抜く目を持っていました。あるいは、発破をかける職人は、岩盤の目の具合や、吹き飛ばした土石の崩れ方、どの方向にブルドーザーで押して、どうすくって土捨て場に運ぶのかを考えたうえで、爆薬や詰め物を調整していました。そして、最も効率のいい方向へ岩盤を倒していた。他にもケーブルクレーンを据え付ける職人、コンクリートを締め固める職人、それぞれ土木屋としての高いプライドを持って働いていました。新人だった私は、彼らから土木技術の現場における基本を教わりました。

山岡 以前、私は、70代の元建設官僚から、田中角栄・元首相に中央工学校で土木のイロハを教えたのは、東京都建設局長を経て参議院議員、衆議院議員を務めた石井桂氏だったと教えられました。「田中に青竹でコンクリートを突いて、締め固めるのを教えたのは俺だ」と石井氏は言っていたそうですが、田中の政治家としての国土建設への執念は、現場の経験、現場に継承された土木の遺伝子なくしてはありえなかったと思ったものです。

田代 われわれの時代は、もう竹で突っつくようなことはなかったのですが、昔は、一輪車にセメントと砂利を載せて運んで、コンクリートを練ることもやっていました。ものをつくるからには、きちんと仕上げたい、いいものにしたいと思うのは、日本人に共通のDNAだと思いますねぇ。



■自然と調和する感覚を三次元CADで視覚化したい

山岡 田代さんが技術者として研鑽を積まれた1970~80年代は、土木技術が急速に進んだ時代でもありました。

田代 その象徴が油圧式機械の普及です。油圧式で小さな装置で大きなものを動かせるようになり、微妙なコントロールもできるようになった。コンクリートの締め固めも油圧式機械でやるようになりました。安全面でも格段に向上した。油圧革命と言ってもいいでしょう。

山岡 機械の進歩が、熟練した技術者の研ぎ澄まされた感覚を後景に追いやったのかもしれませんが、図面では描けない現場感覚、あれっ、これは少し違うぞとか、もっとこうしたほうがいいという感覚は、機械が代行できるものなのでしょうか。

田代 その「あれっ」という感覚は、私なりに言うと、自然と調和する、自然となじむ感覚なんです。それは山や川と毎日、向き合って培われます。じつは、私は、その感覚を、何とか視覚化したくて、三次元CADを初めてダムの計画に応用したんですよ。宮ケ瀬ダムの計画のときでした。たぶん日本で一番早く、入れたんじゃないかな。土木の設計・計画にとって重要なのは、見えないものを見えるようにすることです。地形とか、地質とか、情報を全部入れて、三次元CADにすれば完成形に近いものができると思ったのです。

山岡 川治ダムの所長が「俺には見える」と言ったダムの姿を三次元CADで描こう、と。

田代 そうですね。図面上でも三次元にすれば、ここはちょっとおかしいな、というのは気がつきます。実際にはまだ山を掘っていなくても、図面上でも一応掘った形が見えます。だから、宮ケ瀬ダムの片側の天端は、もともと道路をつけるプランだったのですが、三次元CADでチェックしたら、山が無茶苦茶になってしまうので、トンネルに変えてもらいました。

山岡 景観的なこともシミュレーションできるということですか。

田代 そうですね。世のなかが景観重視へ変わるにつれて、三次元CADで視点を変えて、いろいろ描いてチェックするようになりました。それと、設計段階を大きく変えたのはコンピュータの発達ですね。私たちが新入社員だったころは、まだ手回し式の「タイガー計算機」でした。足し算、引き算機能があって、加減計算を連続して行うことで掛け算、割り算にも対応するというものです。その後、関数計算機が出て、コンピュータになって、自動化がどんどん進みました。測量の分野では、光波測距儀が普及して、いまではGPSも利用できるようになりました。まさに隔世の感があります。しかし、そうやって技術が進んだために職人を現場から追い出してしまったのかもしれないですねぇ。

山岡 技術が進む一方で、1990年代に入ると、自然環境とダムのあり方を見直す声が高まりました。脱ダム宣言も出されました。どのように受けとめましたか?

田代 脱ダムで、インフラいらない、と言われると、俺たちは、いったい何のためにやってきたのか、と愕然としました。私は、インフラをつくって人の役に立てる、自然と向き合って、ものをつくる。この二つを人生の大きな歓びにしていました。それを、いらない、と言われると……。現場の人間としては歯がゆかったですね。確かに、ダムの建設によって先祖代々暮らしてきた土地を追われた方々もいました。故郷が水没してしまう悲しみは想像を絶するものかもしれません。そういう方々ともおつき合いしてきました。それなりに新しい生活に踏み出された方もいます。だから、自然破壊だと言われると、ちょっと待ってほしい。高度成長を支えた電力は、どうやってつくられたのですか。戦後、毎年のように水害で多くの人が命を落としていたのを安全に治水ができるようになったのは、ダムと関係ないのですか。水がない、渇水だ、ダムをつくれと、マスコミは大騒ぎをしていたのを忘れたのでしょうか。冷静に、インフラを見つめてほしいです。

■アルジェリアの高速道路建設

山岡 この連載を通して「適切な公共事業とは何か」「正しいインフラ整備って何だろう」と私は自問してきました。戦後の高度成長期からバブル期にかけて、右肩上がりの成長プロセスで、残念ながら土木建設業界と政界、官界が癒着し、国民の信用を失ったのは事実です。無駄な公共事業もあったでしょう。だからといって、公共事業はすべて悪、公共投資は減らせるだけ減らせばいい、というのは無謀です。極端な二項対立、オール・オア・ナッシングの思考は混乱しか生みません。では、社会全体にとって理想的なインフラ整備とは何か。よりよい方向へ進むにはどうすればいいのか。改めてそこが問われています。

田代 海外に行きますと、日本は、なぜ、あんな小さな国なのにアメリカや中国に劣らない力を持っているのか、敗戦の痛手も受けたのに、なぜ経済力をつけたのかと不思議がられます。日本が力をつけた理由のひとつは、インフラの力だと思います。世界で水道の水が飲めるのは日本くらいです。交通網が整備され、分刻みで鉄道が正確に運行されている。電力供給のシステムが整い、停電はほとんどありません。このような高いレベルの生活が維持できているのは、インフラがきちんとつくられてきたからではないでしょうか。すべてインフラだけが支えているとは言いませんが、大切な要素には違いないと思う。

山岡 日本人の勤勉さや、互いに協力しながら何かをこしらえる特性が、質の高いインフラを構築してきたのでしょう。

田代 じつは、うちの会社はJVで北アフリカのアルジェリアで高速道路の建設をしています。なかなか、お金を払ってもらえなくて、苦労しているのですが(笑)。東西に走る1200㎞の高速道路のうち、日本は400㎞を担当しています。600キロは中国が請負っています。アルジェリアでは、お世辞半分にしても、日本の技術はすごいと言われます。われわれの受け持ち区間にはアージライトと呼ばれる超脆弱な地質のところがあって、トンネルを掘るのに苦労をしてきたのですが、日本の技術なら大丈夫だと信頼されています。この技術的信用力が、日本のバックボーンなのです

山岡 中国が気になりますが、中国はどんな方法で高速道路を建設しているのですか。

田代 日本と違って、人海戦術が中心ですね。彼らは労働者もごっそり中国から連れてきます。国策でやっていますから、パワーを感じます。舗装など普通の作業だけなら、そんなに難しくないです。人海戦術は、日本には真似できません。われわれには、現地の人を使い、現地の技術を高めることも期待されていますからね。

山岡 中国の労働者海外派遣にはいろんな噂がつきまとっていますが……。

田代 労働者がどういう人たちなのか、わかりませんが、現地で宿舎を建てて生活をしている状態を見ると、豊かな人たちではない。どこでも暮らせる雰囲気の人たちですね。

山岡 アルジェリアの現地の人をどう使うか。マネジメントは難しいでしょう。

田代 やはり、宗教の違いが大きいですね。とくにイスラムの人たちとは。向こうが日本人の良さを理解してくれるといいのですけど、なかなか難しい。地質の悪い、難しい工区では、どうしてもキチッと日本人はやりたがる。いい加減なものはつくれないという自負があります。それは江戸時代の玉川上水をつくったころから日本人の土木屋のなかで積み重ねで養われてきたものです。だから、ついやり過ぎてしまう。そうすると、うまく利用されてしまう。なかなか簡単ではない。



■土木の未来

山岡 では、将来に向けて、土木技術をさらに発展させていくには、どのような課題が考えられるでしょうか。

田代 日本の土木技術は、複雑な地質や地形、さまざまな状況に対して、ハイレベルを維持しています。しかし、それだけでは世界に売れません。やはり、総体的なシステムとして売ることを考えねばならないと思います。新幹線のシステムの売り込みは、よく話題に上りますが、水の配分システムも十分可能性があると思います。川の上流にダムをつくって、浄水場で処理して、飲める水を管理して配る。上下水道のシステムを、建設会社だけでなく、オールジャパン体制で輸出する。ある程度、パッケージにすることが大切でしょう。そういう意味では、土木技術者は、全体を俯瞰できる目があるのではないでしょうか。全体を見とおす力を、土木は学問的に持っています。

山岡 常々、私が着目しているのは「海」です。日本の海岸線は非常に長く、領海と、沿岸から200海里の「排他的経済水域」を合わせた広さは、世界で第六位。そこには、豊富な海洋資源が眠っています。

田代 海は、重要な視点ですね。わが社もJV代表会社としてゼネコン、マリコン、ファブリケータなどと一緒に、羽田空港の四本目の滑走路「D滑走路」の建設工事を行いました。世界でも珍しい埋立と桟橋を組み合わせたハイブリッド工法を採用しました。海洋の可能性は高まっています。これからの技術開発の焦点になるでしょう。

山岡 インフラの老朽化問題は、どのようにとらえていますか。

田代 高いレベルの生活を保つには、よりよい性能へとインフラを更新する必要があります。高速道路のトンネルの天井版だって、最近の高速道路には設置していません。古いものをそのままにせず、新しくして質の向上を図る。鉄道は、リニア新幹線が決まって技術力は上がるでしょうが、他の分野でもイノベーションのためにはインフラの更新が不可欠です。ダムにしても、電力と治水のダムを組み合わせれば、新たな可能性が拡がります。

山岡 電気、水道、ガスなどライフラインの老朽化も進んでいます。

田代 シールド工法が確立されて、ライフラインをまとめて地下に通す「共同溝」が、すでに出現しています。東京湾や名古屋湾の海底の地下では、エネルギーの供給ラインが共同溝で造られている。シールドにしておけば、点検も簡単にできるし設備の交換も容易で、長寿命化につながります。古くなったインフラを、ずっと使い続ける、朽ちるのを遅らせるというだけでは、限界があると思います。更新が次々と行なわれ、身近なインフラが変わって注目されれば、現場の人間たちの士気も間違いなく、上がります。

山岡 見えないものを見る「可視化」は、今後も土木技術の鍵を握りますか。

田代 「時間」を取り込んだ四次元へと可視化の範囲は拡がるのではないでしょうか。物理的に見えない部分を透視するとともに、この時期、この時期、と時間経過でものを眺めることが、土木にとっては有効なのです。見えない水脈や、地質の断層を可視化すると同時に時間軸を入れた情報を組み合わせてみると、非常におもしろくなりますよ。

山岡 最近は、CGを駆使した津波シミュレーションとか、土石流の解析シミュレーションなども開発され、防災・減災面での活用が拡がっています。

田代 あれは、動画として時間を採り込んでいますね。勝手な想像かもしれませんが、日本全国、すべての地質がね、情報として見えたら、それはすごい話になります。よくハザードマップと称して、危険地帯を示したりしていますが、どこまで危険なのか、なかなかわからない。あれを、もっと統一的に詳細に広範囲でまとめたら、かなり有効なデータになるでしょう。

山岡 不動産業界は震え上がるかもしれませんが、徹底的にやったらすばらしい。