2013年10月15日火曜日

第11回 橋梁調査会専務理事 西川和廣さん

対談日:2013年7月26日  於:土木学会会議室

西川和廣さんプロフィール

1953年東京生まれ 1978年東京工業大学大学院 理工学研究科 修士課程 土木工学専攻。(一財)橋梁調査会専務理事。
1978年建設省土木研究所橋梁研究室研究員、89年建設省東北地方建設局酒田工事事務所長、91年建設省土木研究所橋梁研究室長、2003年(独)土木研究所企画部長、2009年国土交通省国土技術政策総合研究所長などを歴任。

専門は橋梁工学。橋梁の維持管理の第一人者。道路橋示方書の改訂に長期にわたり参画。阪神淡路大震災時には鋼製橋脚の耐震補強の研究にも携わる。土木学会論文集他、学協会誌掲載論文多数。


■「荒廃するアメリカ」と山形県酒田の現場―トリアージで救える橋がある

山岡 今日は、橋梁に焦点を絞り、維持管理の理論と実践のトップランナー、西川和廣さんをお迎えしました。西川さんは、橋の経年変化、老朽化の問題に工学的視点から最も早く、警鐘を鳴らした専門家です。1980年代初頭、米国でインフラの老朽化が大きな問題となり、『荒廃するアメリカ』という本がベストセラーになりました。まさにあの時期に渡米し、維持管理の研究をされておられます。

西川 83年9月から1年間、ペンシルベニア州のベツレヘムという町のLehigh大学で研究をしました。米国道路庁の人に会って、率直に訊ねたところ、「米国では最近まで橋の維持管理をしなくてはいけないとは思っていなかった」と言われました。やっぱり、そうだったのか。日本とまったく同じだった(笑)。ただ、米国では1968年にシルバー橋が落ちて、2年に1回点検する法律ができて、点検する技術者を教育するNHI(National Highway Institute )もつくられており、しくみは素晴らしかったのです。ところが、その割に橋が落ちる(笑)。行政が予算をつけて「米国の橋はなぜ落ちるのか?」と大学に研究させました。結論は、財源の問題。維持管理にお金が回らないからです。米国でも別途予算を用意しなくてはなりませんでした。当時、ガソリン1ガロンに対して、ガソリン税を4セント増やして道路の維持管理費に充てていました。

山岡 米国の道路や橋は、かなり傷んでいましたか?

西川 ニューヨークの高速道路はガタガタでしたね。でも、まだ使っていました。ベツレヘムの地元紙にはいつもどこそこの橋が閉鎖されたと載っていました。現場に行ってみると、橋に穴があいたり、腐っていたり……。財源的理由とは別の意味で、工学的観点からみても、実際に米国の橋はよく落ちました。理論通りにつくっているから、理論通りに落ちる。日本の橋は、欧州の橋と設計の流儀が近いからかもしれませんが、なかなか落ちません。

山岡 日本は安全率を高く見積もっているからですか。

西川 いや、そうではなく、思想の違いです。日本では橋の床であるコンクリートの床版と、それを支える床桁を、橋本体のトラス構造とガチッとくっつけて固定しています。そうしたほうが、何かあったとき役に立つだろう、という考え方です。米国はそうではなく、本体の上に支承という支点をかませて、その上に床桁をポンと置いている。だから落ちる時はストーンと落ちる。日本の橋は、トラスが一本くらい切れても、床ががんばって首の皮一枚で止まる。先輩方のつくり方がフェイルセーフになっていました。欧州流が役立ったのでしょう。

山岡 米国から戻られて、建設省本省の道路局を経て、東北地方建設局酒田工事事務所長に就任されていますね。そこで、過酷な状況に直面されたそうですが……。

西川 ええ。山形県の日本海側を走る国道7号線、ここは波浪のしぶきが危険で交通止めになるほど海岸に近い場所を通っています。それで塩害が凄かった。コンクリート橋が架けて10年後くらいから塩害が出始めて、ピアノ線で引っぱっていたけれど、コンクリートのなかはボロボロ。構造的な計算をしたら、落ちないのが不思議なくらいでした。ここでも床版が頑張ってくれたお陰で、落橋を免れていた。損傷のダメージの大きな順に橋を直していたのですが、追いつかない。最終的に15橋、すべてを架け替えることになりました。いまから思えば、トリアージをして、損傷度の低い橋から直せばよかった。

山岡 トリアージは、災害救援時の緊急医療の考え方ですね。手当てをしても助かる見込みのない患者より、救える可能性のある患者の治療を優先する。厳しいようですが、ひとりでも多くの命を救おうという取組みですね。

西川 維持管理というのは、リアリズムの世界なんです。起きている現象に対して、帰納的にどう対応していくかが重要です。一方、新しい橋をつくる設計は、理論、仮定、条件を積み重ねると一定の正解にたどりつきます。つまり演繹的手法。学校でも教えやすい。しかし、維持管理は、そうではない。波しぶきを毎日のようにかぶる、とてつもない重量のクルマが通るなど、与条件がどんどん変わります。そこで発生した現象の解釈から始まり、帰納的に対策を立てねばなりません。設計と維持管理は思考回路が逆なのです。

山岡 おもしろいですねぇ。それは法学と臨床医学の違いに似ています。法学は、演繹的に法体系を構築する。逆に臨床医学は、患者の体で起きている現象、症状を診断し、帰納的に治療方法を探る。思考のベクトルが違うので、たとえば医療現場で起きた事故を、法的に裁こうとすると難しい。医療側の明らかなミスや怠慢は別ですが、患者の生命を救おうとした治療の過程で起きた事故を、法体系の枠組みで解釈するのは困難です。


西川 おっしゃるとおり、維持管理は臨床医学に似ているんです。コンクリート橋にとって塩害は大敵です。橋の寿命を縮める。どうすれば予防できるのか、延命できるのか、いろいろ試行錯誤しました。その結果、要するに塩害は「肝臓病」だと気づきました。肝臓は我慢強い臓器なので、症状が出てからでは遅すぎる。だったら「血液検査」をしましょう。橋のコンクリートのコアを適当な時期に抜いて、輪切りにして検査をします。コアの表面にどの程度塩が飛んできているかと、浸透した塩分量でコンクリートの質がどうかをチェックすれば、将来像が大体わかります。

■1990年代前半に提唱した「工学的永久橋」と「ミニマムメンテナンス」

山岡 なるほど。そうした研鑽を経て、西川さんが提唱されたのが橋の長寿命化に向けた「ミニマムメンテナンス」。1990年代前半、土木業界では「橋の寿命は50年」と言われていた時代に、長持ちさせて、きちんと補修しながら使おうと正論を唱えられた。なかなか勇気がいったでしょう(笑)。

西川 ははは。土木学会の研究討論会で長寿命化の話をしたら、そんなことをしたら橋の需要がなくなるじゃないか、と面と向かって言われました。私、そのとき大声で怒鳴り返しました。そういう時代でした。

山岡 怒りはどこからこみあげてきたのですか。

西川 あのころ、15m以上の主要な橋が13万橋。50年で寿命が尽きるなら、13万橋を維持するには、13万を50で割って、毎年2,600橋架け替えないといけないことになります。新設橋は年間大体2,000橋でした。更地につくることが多い新設橋と違って、使われている橋の架け替えは仮橋をこしらえたり、交通規制を行なったりしながらの工事になる。お金も手間も時間もかかります。日本各地で、そんな工事が行われれば大渋滞が発生して、途方もない社会的損失になる。現実問題として2,600橋の架け替えなどできるわけがない。

山岡 できもしないことを、当然のように言うのは幻想ですね。西川さんの維持管理のリアリズムに反したわけだ。では、ミニマムメンテナンスとは?

西川 「工学的永久橋」という概念を提唱しました。そもそもメンテナンスフリーで、全然手入れをしないというのは大間違いです。最小限の手入れ=ミニマムメンテナンスで、永久橋、当時は1000年橋と言っていましたが、最近、かなり値切られて100年になりましたけど、要は長持ちする橋をつくろう、という考え方を提起しました。最小限の手入れでも、永久橋ができる。橋の寿命を延ばすには、計画設計、施工、維持管理の3回チャンスがあります。まずは、計画設計段階で、環境に応じた仕様が大切です。たとえば、橋桁の鋼材でも、山間部の寒冷地で腐食の心配が少ないところなら耐候性鋼材の無塗装のものが使える。一方、海岸部であれば、塩害、腐食のリスクが高いので溶融亜鉛めっきと塗装の併用が望ましい、とか。

山岡 1000年橋とは、強烈なインパクトがあったでしょうね。


西川 橋梁メーカーはショックを受けたようですが、いろいろ一緒に考えてくれるようにもなりました。誤解しないでほしいのは、私は橋の架け替えがダメだと言っているわけではないのです。重要度の高い橋や、損傷の度合いの大きな橋のなかには、当然、架け替えねばならないものもあります。あるいは国に経済的に余裕ができて、陳腐化した橋を国民の生活水準に合ったものに架け替えようというのであれば、やればいい。問題は、根拠の薄弱な理由で、どんどん架け替えればいいとする、安易な考え方なのです。年間2600橋の架け替えなんて無理。橋の平均寿命が50年というのは、50年経った橋の50%がダメになるという考え方です。私は、この割合を20%、10%にできないか、と考えたのです。全体を後ろのほうに倒すのであれば、架け替えの仕事も、なくなりはしません。

■市町村が管理する橋に国のモノサシ(保全基準)は合わない

山岡 時代を先取りしたミニマムメンテナンスの提案から、20年ちかく過ぎました。予想どおり、古い橋が増えています。ところが、橋の維持管理をできる技術者が減っていると聞きます。これは由々しき問題ではありませんか。

西川 かつては、建設省が土木・建築業界にどのくらいの需要があるか目配りをしていました。昨今は、公共事業削減が続く中でほとんど目配りできていない。その結果、最低限必要な技術者すらいなくなっています。その一方で、技術開発、技術の継承をしろ、というのは矛盾でしょう。困っているのは、長大橋です。すごく厳しいです。10年以上、日本の企業は大きな吊り橋を架けていませんからね。辛うじて、海外で下請けの架設をやっていたり、地方自治体の離島架橋をやっていたりしていますが、技術の継承と言ってもぎりぎりのところではないでしょうか。

山岡 本四連絡橋は、日本の橋梁技術の高さを象徴するものでしたが……。

西川 残念ながらもう仕事がないんです。本四の会社に残っている人で、実際にご自身で吊り橋をつくることに関わった人は、ほとんど退職した。あるいは辞める間際の人しか残っていません。その後、入った人たちは、気の毒だけど、つくるところは経験していない。でも、本四連絡橋は、当初、かなりお金をかけているし、対策も練っています。まだ、大丈夫です。

山岡 では、日本の橋全体の維持管理は、どこから、どう手をつければいいでしょうか。

西川 私も国交省にいたころは、国直轄の国道とか、高速道路の橋しか頭になかったのですが、いまは地方のことで頭がいっぱいです。小さな橋を含めると日本には60~70万もの橋があります。そのうち76~77%が市町村の管理なんです。国は、えらそうなことを言ってますが、直轄は、数で3.1%、延長にしても12%足らずです。圧倒的多数の市町村管理の橋が、ピンチです。点検する人も、補修する人も足りません。

山岡 過疎地の市町村道では橋の維持管理が問題になりますよね。

西川 そもそも国の高速道路や直轄国道は、地図に落とせば日本の骨格になっています。どこかの路線が使えなくなれば、国の形が崩れます。だから、考える余地もなく、朽ちてきたら架け替えます。ハイレベルの予防保全基準に則って、高度な管理をしなくてはいけません。が、しかし、よく見てください。地方道は、骨格ではなく、むしろ神経系にたとえた方がよさそうです。とくに市町村道は、行政サービスなどを住民ひとり一人に伝える末梢神経です。ですから、神経につながる地域や集落の動向によってきめ細かい対応をする必要があるのに、国道に近い維持管理が求められて困っているようです。

山岡 中央官庁は、このような問題があることをわかっているのでしょうか。

西川 わかっているとは思えません。たとえば、市町村が橋を架け替えたり、大規模な補強をしたりする際、とくに国から補助金を支給された場合は、国の技術基準に準拠しなくてはなりません。この要求水準が高すぎて、地元の土建屋さんは背伸びをしても届かないのです。これでは意味がない。手の届くレベルにして、向こう10年間、とにかく、騙し、騙し使ってもたせる。まずは応急処置でやってみて、期限がきたら、また手を加える。そんな方法も検討されていい。今後、日本全体の人口が減っていくなかで、高度成長期の右肩上がりのころの基準は、使い勝手が悪いのです。

山岡 国のモノサシは合わないのですね。ただ基準を下げて、安全面はどうですか。 

西川 南海トラフが動いて、大地震が発生したら、ごめんなさい、です。過疎地で橋の維持管理に困っている人たちに、そう言ったら、皆さん、「そうなったら仕方ない、いいんだよ」とおっしゃいます。これは、一種のリスクコミュニケーションかもしれません。

山岡 実際に西川さんは、地方に出向いて、橋の維持管理の指導もされていますね。

西川 はい。一例をあげると、長野に「NPO法人 橋梁メンテナンス技術研究所」があり、「あなたもできる橋の点検」と題して、素人の向けの点検要領をつくっています。点検要領は紙1枚で、「橋の下から眺めて、白い筋が入っていませんか」などのチェック項目に、○×で応えるといった、まさに「あなたにもできる」点検になっています。また、宮崎県では、全体を見て、橋が折れたり、くの字になっていたら、まずい。桁の端部だけ近寄って見なさい。ハシゴで行ける所までで点検は止めて、高くて、怖いところには行ってはいけません、など基本的な助言をしました。

山岡 住民自身が、点検をすることで、どんなメリットがあるのでしょうか。

西川 まず、人件費のコストを下げられますよね。また、問題のない橋を省けるので、橋当たりの点検料が節約できるし、情報を早く集められます。自信のない人は、最後の判断をしてはいけませんが、見ないで放置するよりは、よほどいい。


■人口減少下の維持管理―キーワードは日本流「共通善」

山岡 もうひとつ気になるのが、施工不良の問題です。老朽化が進むうえに、元々の施工が悪ければ、これは大惨事になる怖れがあります。

西川 つくった後の施工チェックは、難しい、わからないんですよ。コンクリートが固まったら見かけでは判断できません。鉄も、工場で溶接してしまうと、なかなかチェックできない。だから施工中の品質管理が大事なんです。鋼橋では、大事なところは、超音波とエックス線撮影で検査をします。海外の落橋事故のなかには、鋼材の溶接が薄皮一枚のような状態だったケースもあります。本来はエックス線検査をすべきだったのでしょうが……。

山岡 東京五輪の突貫工事でつくった道路や橋は大丈夫でしょうか。

西川 工期が短かったので、多少、懸念はありますね。ただ、日本人の感覚から考えて、危険につながるようなひどい手抜きはしていないでしょう。2000年ごろに首都高速に疲労亀裂が出たので、橋脚を一つひとつきめ細かく点検し、補修しました。道路に比べると、鉄道の維持管理はレベルが高いです。ほとんどすべての橋が標準設計なので、あるところに亀裂が出たら、同じ条件の場所を洗いだして、一斉に点検する。並行して、亀裂の原因解明と改良方法を練る。検討結果が出たら、まだ亀裂が出ていない所も含めて、全部、改良するんです。何か問題があれば、問題自体を消す、いわゆるトラブル・シューティング。米国海軍流の最高レベルの予防保全です。

山岡 さて、国土強靭化基本法も、国会に提出されました。いままで後回しにされていたインフラの維持保全にも光が当たりそうですか。

西川 現場は、手応えを感じ始めたところでしょうか。われわれは、いま、三つの大きな災厄に向きあわねばならないと思っています。ひとつは、確実に発生すると予告されている巨大地震、二つ目がインフラの老朽化、三つ目が想像を超えた人口減少です。国土技術政策総合研究所の所長時代、毎月、部長会議で、この三つを同時に考えてほしいと言い続けました。

山岡 人口減少社会を前提に、どんな優先順位で取捨選択をするか。悩ましいですね。

西川 人が足りないということは動かせない前提条件なので、発想を逆転して、「全員参加」をモットーになるべくたくさんの一般住民の方を橋のちかくまでお連れして、維持管理の話をしています。皆さん、非常に興味を持っていきいきと聞いておられます。インフラの大切さを再認識されるのですが、地域を支える基盤との距離が縮まることは非常に重要だと思います。
山岡 今日、お話しながら、広い意味で私たちの思想が試されていると感じました。インフラに手を入れて、長く使い続けることの正しさは、おそらく政治学でいう「共通善(Common good)」に直結しています。共通善とは、聞き慣れない言葉だと感じる人が多いかもしれませんが、単純化して言えば、社会や国家など政治共同体全体にとっての善を指し、ある特定の個人や集団にとっての善とは明確に区別されるものです。明治維新以降、日本が真似た西欧社会の底辺に脈々と流れている価値観ですね。そこが、いま試されているのだろうと思います。

西川 米国なら、仮に橋や道路が荒廃しても、極論すれば、ダメになったところは放り出して、どこかへ行けばいい。国土が広いですし、社会にそういう価値観が根づいています。古い街並みがスラム化して、治安が悪化すれば、お金のある人は、どんどん他へ移る。日本では、そのやり方は不可能です。山が大部分を占める国土で、平地という平地は開発し尽くされています。ダメになって放り出せば、社会機能がマヒする。なんとか手を入れて、長持ちさせて、使いながら、更新できるものは更新する。ステップ・バイ・ステップで、やっていくしかありませんね。

山岡 日本には「もったいない」と「お互いさま」という二つのキーワードがあります。そのあたりが、日本流の「共通善」の鍵を握るような気がします。