2013年5月31日金曜日

第2回 政策研究大学院大学政策研究センター長 森地茂さん(後編)

■地域格差の是正と高度成長を同時に達成した「日本の奇跡」

山岡 ― 今日は、戦後の復興から高度成長、バブルとその崩壊を経て現在に至る社会資本整備の流れをお聞きしたいと思います。私たち一般人は公共事業というと、道路や鉄道、橋、河川、港湾と個別の事業に注目して、あれこれものを言いがちです。ただ、これらは国土をベースにつながっているわけで俯瞰的に見ることも大切でしょう。そのあたりからお話いただけますか。

森地 ― 戦後の社会資本整備には、主に次の目的がありました。①需要追随:都市化やモータリゼーションなどへの対応。②災害対策:暴風雨、地震、火山の噴火など。③経済効率性の向上:高速の交通体系、工業団地や水・エネルギー資源への対策。④環境対応:水質や大気、土壌などの汚染への対策です。そして、⑤地域格差の是正:地域間の人口、雇用、所得、生活水準などの格差をなくすという五つの目的です。
 敗戦の焦土から、高度成長での復活は「日本の奇跡」と世界中で言われました。その後、ブラジルや中国、インドなど高度成長を遂げた国は多いですが、日本の奇跡には、他の国々と違った特徴があります。それは「地域間格差」が、高度成長とともに縮小した点です。ふたつ同時に達成した国は日本だけ。これが日本の奇跡と言われる所以なのです。

山岡 ― 地域格差が縮小、ですか? 格差は開いている印象が強いのですが……。

森地 ― 所得分配の不平等さを測るジニ計数や、三大都市圏への人口流入などを見ますとね、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州などのブロック間の格差は1975年頃までにほとんど解決しています。これは地方の一次産業と都市の二次、三次産業との所得格差を縮小するために社会資本整備を先導役に工場の地方分散を図り、農山漁村の雇用機会の創出と兼業化を促進する政策が採られた結果です。その後、ブロック間の格差はほぼ横ばいからやや上がりますが、これは金融や情報サービス産業が都市に集中したためです。90年台以降のデフレ時代は、ブロック間格差は再び縮小しています。

山岡 ― 地方は経済のグローバル化で生産拠点が海外移転し、駅前にはシャッター街。高齢化のスピートも早く、疲弊しているように感じられるのですが……。

森地 ― 問題は、関東圏の東京と群馬とか、中部圏の名古屋と岐阜とか、ブロック内、あるいと都道府県内での格差なんです。ブロック内格差と、都道府県内格差は、75年から90年頃にかけて急上昇し、その後、下ってはいますが高止まりしている。つまり、日本全体としての所得格差は縮まっているのですが、地方のなかで格差が開いた。その間、都市的サービスを求めて地方中枢都市への人口移動が続いた。85年のプラザ合意以降、急激な円高で大企業も中小企業も東南アジアなどへ生産施設を移転させます。従来の大都市から地方部への企業進出という地域活性化のシナリオが崩れました。

山岡 ― 工業団地を開発しても、海外とのコスト競争で企業を誘致できませんね。

森地 ― そこで地方の不況対策として公共事業が求められました。90年代から産業基盤投資、生活基盤投資ともに地方部での増加が目立ち、箱物投資批判や公共投資批判を招いた。

山岡 ― 財政的には地方への投資も厳しくなりました。いま、私たちが感じている格差は、社会資本整備の視点からどうとらえればいいのでしょうか。

森地 ― 全体の所得格差は縮まっているにもかかわらず、大変な格差があると感じているのは「将来展望」への格差でしょう。

山岡 ― 少子高齢化で雇用、医療や介護、生活全般への不安が拡がっていますね。

森地 ― そこから将来展望の格差も生じる。これを解決しなくてはいけません。


■東海道新幹線を世界銀行からの借款で建設した理由


山岡 ― では、時代を遡って、終戦直後からインフラ整備の具体像をお聞きします。戦後、真っ先に国がとりかかったインフラ整備とは何だったのでしょうか。

森地 ― 港は、かなり早く着手されたようです。昭和20年代初頭に建設省に入った先輩に聞くと、最初は仕事がなくて、外国の論文ばかり読んでいたけど、流砂で港が埋まり、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)も困って、神戸港と横浜港大桟橋への投資が許されたそうです。他の港にも波及し、臨海工業地帯構想が浮上して、埋め立てと工業立地が合体します。交通の技術革新が起きて大型船が通れるようになった。工業振興、交通の技術革新、埋め立ての三拍子がそろった。さらに港湾開発を後押しする歴史的資産もありました。

山岡 ― それは、何ですか。

森地 ― 大正末期から昭和の初め、日本は世界屈指の海運国家でした。軍艦をたくさん建造した。商船や造船、商社の上層部は別荘を持つほど裕福でした。いったん、そこまで豊かになったのだから、そこまでは戻れるという確信があった。イメージがあったから、戦後のどん底でも、どんどん投資できたのです。

山岡 ― 確かに第一次大戦後、日本は英米に次ぐ世界三位の船腹量を誇っていました。「成り金」の時代。その成功体験が、戦後復興の原動力だったのですね。

森地 ― 復興途上で、次に力を発揮したのが受益者負担による道路整備特別会計です。1949(昭和24)年に揮発油税が復活し、56年にワトキンス・レポートで「日本の道路は信じ難いほど悪い」と評されます。道路整備が急務になり、田中角栄のアイデアで揮発油税は道路特定財源になる。ODA(政府開発援助)なしに社会資本を整備できたのは特会があったから。もしも政治家や官僚が完璧に理性的、論理的に行動するのならいいですよ(笑)。そうでなければ特会で税金の使い道を縛ったほうがいい。そこでお金は循環します。加えて公団が創設され、郵便貯金の財政投融資を使った社会資本の整備が進みました。

山岡 ― 60年代に入って東海道新幹線、東名高速道路と国家プロジェクトが実り、日本は先進国入りします。新幹線にはGDPの3%ちかい投資をしていますね。

森地 ― 国鉄の十河信二総裁が新幹線構想をぶちあげると、欧州から「世界三バカ投資」と揶揄されました。ピラミッド、万里の長城と並ぶ三バカ投資だって(笑)。
欧州では航空や高速道路が整備されて、鉄道はお客を奪われて衰退の一途。米国も同じ。そんな状況で巨額の投資をしても採算はとれないと嘲笑われた。

山岡 ― 世界銀行から1億ドルちかい借款を受けて建設しますね。

森地 ― 先輩に聞くと、あれはお金が欲しかったからではないそうです。

山岡 ― へぇ、そうですか。

森地 ― 総理大臣がころころ変わって途中で止められたら鉄道事業は破綻します。政府が止めたと言えないように世銀のお金を入れて、政権交代に関係なく、返済の義務を負って事業を続けようというわけです。名神、東名高速にも世銀の借款が使われています。新幹線のやり方を見て、建設省の道路局も真似したのかもしれません。

山岡 ― その後、国鉄は分割民営化でJRグループ各社に分かれましたが、高度成長を支えた存在だったことは間違いありませんね。

森地 ― 日本の鉄道では、三つのことが世界で高く評価されています。第一に新幹線、多額の投資をわずか5年で回収した。二つ目が羽田のモノレール。空港へ鉄道を敷くのも採算に合わないと見られていたけど、これも成功。三番目が国鉄分割民営化です。民営化の最中に、僕は欧州の公開シンポジウムで講演をしました。そしたら「バカげている」と批判された。欧州の都市鉄道はどこも赤字でダメになったから公営化した。赤字で民営化なんて気が狂ってると言わんばかり。会場では労働組合の人たちからブーイングを浴びました。でも、日本は民営化がうまくいきました。するとドイツが先導し、サッチャーの英国も、フランスも民営化へと舵を切った。その後、英国は過激な民営化の反動で事故も起きましたけどね(『折れたレール』クリスチャン・ウルマー著に詳しい)。

■「聖域なき構造改革」前夜の道路公団改革案


山岡 ― 1973年末の石油ショックで高度成長は止まり、「安定成長」が課題となります。石油ショックは社会資本にどんな影響を与えたのでしょうか。

森地 ― 自動車の排ガス規制が大きいですね。米国では厳しい規制を求めるマスキー法が議会にかけられたけど、ビッグ3が不可能だとして廃案。日本でも自動車メーカーが同じような主張をしていたなかで、本田技研工業がCVCCでクリアできると発表しました。74年に排ガスの50年規制が告示され、その後厳しく改定されていきます。自動車メーカーはクルマの小型化、軽量化、燃費性能の向上とコストダウンに全力をあげて、日本経済をけん引しました。社会資本整備に「環境」の視点が本格的に入ってきましたね。

山岡 ― 次の壁が85年のプラザ合意後の円高でした。貿易立国の日本は「内需拡大」がテーマとなり、インフラ整備のかたちが変わる。バブルが始まりました。

森地 ― ちょうど「前川リポート」が出て、「生活大国」というコンセプトが示されます。生活大国の日本に集まる外貨を何とかしなくてはならない。そこで、箱物にいってしまう。インフラといえばインフラだけど、劇場だとか、庁舎、ホールとか。地方のなかで格差が拡大しているころだから、そっちに投資される。竹下登首相は「ふるさと創生事業」で各自治体に地域振興で使える資金1億円を交付します。地方の人が自分たちで考えて、事業に使ってほしい、と。その後、小渕恵三内閣でも「地域戦略プラン」が重大政策で打ち出され、広域経済圏での自立的な事業を提示します。バラマキと批判する人もいましたが、どちらも方向はよかった。うまくいかなかったのは「単年度」の予算消化に縛られたからです。本来は、2~3年かけて、地元の人に考えてもらって、うまくいきそうなところから順番にお金をつければいい。それが単年度ですぐに使わねばならないから、決まったところからどんどん交付した。

山岡 ― なるほど、お金の使い方の制約ですね。間もなくバブルは崩壊し、財政が急速に悪化し、公共事業に急ブレーキがかかります。

森地 ― 財務省は政治家がお金を使いたがるのを抑えるために公共事業の「乗数効果が落ちた」と盛んに言うわけですが、乗数効果はしょせん投資効果。道路をつくったら鉄の値段が上がるといった類のこと。現実には道路をつくったら工場が建ち、流通が合理化されていきます。こうした効果は計測できない。インフラを整備したら実際に地域がどう変わるのか、民間がどう変わるかを見定めることが大切です。

山岡 ― 小泉純一郎内閣の「聖域なき構造改革」で公共事業に大ナタが振るわれ、投資額は年々減りました。

森地 ― じつは森政権末期に国交省が道路公団改革を真剣に議論していました。僕もその委員会のメンバーで、全国一律の高速道路料金ではなく、都道府県がある程度負担したら、料金を下げる仕組みを考えて、財務省も自治省も合意したんです。法律を通す準備をしていたら、道路公団が猛烈に反対しました。公的なお金が入って、国交省道路局が直轄で高速道路をつくることになりますからね。結局、政治家の裁断で、法案の提出が先延ばしにされました。財務省とも話がついていたのですが、流れた。それが年度末の三月、そして四月に小泉さんが総理に就任されたのです。その後、新直轄方式と称して、一般国道と同じように国交省地方整備局が整備して、完成後は無料開放される高速道路と、従来通りの高速道路ができるわけですが、流れた案と比べて、どっちが合理的だったか、よく考えねばなりませんね。


■公共事業をいかに「評価」し、「選択と集中」を行うか

山岡 ― 民主党政権の「コンクリートから人へ」はどう受けとめられましたか。

森地 ― ワンフレーズで、一般受けはよかったのかもしれませんが、インフラは生活を支えるためにも重要だということをミスリードした。高速道路の無料化までいった。八ッ場ダムにしても、いきなり「止める」と言う前に公共のリスクを検討する段階が必要でした。

山岡 ― メインテナンスに必要な費用まで削られそうでした。長い歳月、物理的に社会を支えてきたインフラの老朽化への対策は急務だといわれています。

森地 ― 一例をあげると、新宿南口の甲州街道とJR路線との交差部分に架設された新宿跨線橋。あれは2000年から架け替え工事が行われていますが、きっかけは1995年の阪神淡路大震災での高速道路の崩落です。現場を京大の先生たちと僕は一緒に歩いて、落ちた理由などを聞きました。帰りのバスで「東京で直下型地震が起きたら、どこが危ない?」と訊ねたら「新宿だ」と。あの跨線橋は、関東大震災後の1925年に建設されている。支持構造もヒンジ(蝶番)で強くない。怖い。直せばいいのだけれど、懸案のままになっている。聞けば、JRと国道の管轄の違いで云々と。双方の担当者に「きみらね、人が死ぬかもしれないんだよ」と言って、それぞれのトップに話をして着工にこぎつけたんです。

山岡 ― 15m以上の橋は全国に15万橋もあるそうですが、多くが古くて、しかも半数以上が市町村の管理。ということは修繕の手が届きにくい。そもそも個別の公共事業が適切かどうかは、どのように評価すればいいのでしょうか。

森地 ― フランスで始まった「費用便益分析」の手法は、市民も理解できるモノサシとして先進諸国に定着しています。どこの国も数字でチェックします。しかし、最終決定は大臣がやります。日本は、そこの議論が欠けています。評価の方法としては英国方式がいい。英国は、一枚の紙にひとつのプロジェクトの費用対効果、環境負荷、立ち退きを迫られる人の数、土地はいくらで買収できているか、他の計画との整合性など、じつに細かく書いて公表します。それを一枚ずつ比べれば、どの事業の効果が大きいかわかります。変なことをしたら、市民や世論が、これはおかいしぞ、と言える仕組みになっているんです。

山岡 ― オープンですね。日本では行政機構の垣根の問題などもあって難しいですか?

森地 ― 増田寛也さんが岩手県知事をしておられた頃、費用対効果だけ公表したんです。それだけでも県議会議員の意識が変わったとおっしゃっていました。

山岡 ― さて、近代化とともに築かれた膨大なインフラが老朽化しています。財政の縛りがあるなかで、何からどう手をつければいいのでしょうか。

森地 ― 「選択と集中」でしょう。僕らの仕事は、直近の緊急対応的なものと、長い尺度で将来を見すえてやるもののセットです。両者の方向は必ずしも一致しない。これは極めて悩み深いものです。費用対効果の比ではない。選択の条件をどうそろえ、何に集中するか。究極は、利根川が氾濫したら東京がやられるので50年かけて堤防をこしらえる、しかし、その間、大阪の淀川には手をつけない、というような選択は困難です。では両方を長期間かけて整備すれば、その間のリスクは、上がったり、下ったり。こう言う問題はどこでもある。公共事業を減らすといっても、日本は、特定の分野だけ減らせない。一律に減らす。大義名分を立てて、メディアも巻き込んで「選択と集中」の悩み深さを含めて議論をしなくてはならないと思います。

(写真撮影・永田まさお)